開設間もないですが、ヨーロッパ退屈日記、エアコンのいらない家、北欧流ふつう暮らしが旅立っておりました。ご購入ありがとうございます。そして自分も新たに3冊購入しました。新商品は補充しておきます。 #猫の本棚 #棚主 https://t.co/25qJ9kIEIz
—五田川翔 (@is0144ps)
わたくしは、彼女の、その日の気分や、好み、アルコール許容度、そして服装の色などをおもんぱかって、これ以外なし、というカクテルをピタリと注文する悦びは、男の愉しみとしてかなりのものと考えるのだが、いかがなものであろうか。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
この人を読んでいると伊丹十三を思い出す。『ヨーロッパ退屈日記』などエッセイを書いていた頃の伊丹十三だ。俺たち世代は伊丹十三によってはじめて、仰ぎ見るのではなく、肩そびやかすのでもなく、上目遣いでもない、西洋についての語り口を知った。
—ニッケル (@smnikker)
「あっ!あれは約六千万年前に地球上から一切絶滅したといわれていたにもかかわらず、どういうわけか最近突然出現して、うちの所長を殺したラドンだ!」 (ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
でも、自分の嫌いなものをあれこれ考えるのはとても愉しいことです。美的感覚とは嫌悪の集積である、と誰かがいったっけ。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
ヨーロッパ退屈日記みたいに、私も東京退屈日記書こうかな
—オハナ!! (@matadesuka_)
たとえば、ネクタイとスーツに身を固める以上、人前でズボンをたくし上げたり、ワイシャツをズボンに押し込んだり、チャックを直したり、そういう真似はよしてもらいたいのである。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
わたくしは、よほど気心のしれた友人はともかく、通常相手から求められない限り、決して握手はしないという原則を持っている。グラスを片手に何十人もの見知らぬ人と握手して廻る、大カクテル・パーティなど、考えるだけでも不愉快である。第一不潔ではないか。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
イタリー人が給仕していないイタリヤン・レストラン、中国人が給仕していない中華料理店、で食事する味気なさは、たとえばイギリス人の給仕で、イギリス料理を食べるのに匹敵すると思うのですが、マドリッドについて最大の失望は、まさにこれであった。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
伊丹のいいところは、人間としての無類の優しさにある。そうして、その優しさから生ずるところの「男らしさ」にある。優しさから生まれた「厳格主義」にある。 (「伊丹十三について ポケット文春の裏表紙より」ヨーロッパ退屈日記/山口瞳)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
いやらしいではありませんか、歯が浮いてくるではありませんか。でも、これはごく自然な会話なのだよ。そして、わたくしは別にベレー帽なんかを被ってはいなかったよ。誰が悪いのでもない、日本語でパリを語るということ自体がだめなのです。いやらしくなってしまう。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
【本棚登録】『ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)』 伊丹十三 https://t.co/TmG3sVOQh6 #booklog
—春P (@tanjyobiwa717)
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』#読了 伊丹十三さんのエッセイ初めて読んでみた!わたしはやはりイギリスふうのブラックジョークみたいなものがすごく好きみたいだ。うふうふしながら読んだ。 https://t.co/Q2Xv788CBm
—みやさかクレー (@miyasaka0131)
今でもわたくしは、男の、そうして大人の人で、ピアノなんか弾く人を見ると、何か、やるせのない、憧れのような気持ちを抱いてしまう。この人は育ちのいい人だなと思ってしまう。音楽コンプレックスなんぞという下賎なものを知らずに済んだ人だな、と思う。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
【入荷のお知らせ】3/9-2E 創作 ルツボはたぎる/益田甫 望みなきに非ず/石川達三 宮沢賢治 文藝読本/馬場正男・石井宗吾 ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三 一寸法師/石田英一郎 千机書房@日本の古本屋… https://t.co/raPrRWXP3W
—古本屋 千机書房(チキショボウ) (@chikishobo)
『取替え子』『さようなら、私の本よ!』がおもしろすぎて、伊丹十三の映画見たい〜!!!ってなってるけど動画配信されてないっぼいわね…… 大江健三郎全集のほとんど最終巻あたりになぜか『日常生活の冒険』が入っててそれが『ヨーロッパ退屈日記』を種本にしたものと知った。それも読んでみたい。
—結崎 剛 (@youquigo)
それからまた、わたくしは、楽譜が読めないから楽器が習えないと信じている人にもいいたい。一体三つや四つで楽器を始める子供たちに、あらかじめ楽譜を読む能力がそなわっているものだろうか。楽譜の読める読めないなぞ何の障害にもなりはしないのだ。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
イギリス人なんていうのは、そりゃすごいものを食ってるから。バリバリしたポテト・チップスの上に目玉焼き、なんて、そんなものを食べております。おりますが、ロンドンには本当のイタリー料理があった。(中略)これは本国人がやっているからです。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
ぼくは、カメラ・マンの想像力が一番はっきりあらわれるのは対話をどう撮るかだと思う。(中略)今まで何百万通りの対話が撮られたかしらんが、この分野で何か新鮮なことをやるというのは大変なことだと思うな。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
ロンドンにいると、日本人がいかに器用であったかということを、しみじみと想い出しますね。たとえばデパートへ行く。かなり四角い、たとえば書籍かなんか買うとしましょうか。そんな簡単な形のものでも、かれらには満足に包めないのです。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
要するに、運転者を信頼してはいけない、ということです。車にはだれも乗っていないと思えばよいのです。どんな車でも、だれも乗っていないと同じ状態になり得る時間があり、その一瞬事故が起きるのです。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
コーヒーを飲みながら食事するっていうのは、西部劇時代から一向に垢抜けない、アメリカの蛮風です。この一事だけでも、アメリカ人がどれほどヨーロッパで軽蔑されているかわかんない。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
白人の下層労働者の姿を肉眼で見たのは、これが初めてであって、(中略)白人が、あんな雑役をやってるぞ! と心の中に叫んで、わたくしは密かに恥ずかしくなった。(中略)自分の心の中のどこかに潜んでいた白人崇拝の念が、わたくしをひどく驚かせたのである。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
少し前の日本経済新聞の春秋で国名の「ブ」と「ヴ」の表記が話題になってて、たとえば伊丹十三さんが半世紀も前に書いた「ヨーロッパ退屈日記」などキザを芸にしたような本である。(中略)ジャガーはジャギュアだった。なんですか?ダージリン様の… https://t.co/aWg0JBRYvy
—皮肉屋なロマンチスト (@hinikuyaromanti)
正装する、ということは愉しいことである。社会の掟に、進んで身をまかせ、自らを縛する、というところに、一種の快い、引緊った安堵がある。タクシードを着て凛々しい快感を覚えぬ男があるだろうか。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
日本人が、アメリカ人に躾を教えられるなんぞは馬鹿な話じゃありませんか。そんなことより、かつては美しかった、日本人の人情を失わないようにしようじゃないの。思いやり、気がね、遠慮、謙遜。こういったものは、世界のどこにも例の無い美しい国民性なんだ。『ヨーロッパ退屈日記』(1965)
—伊丹十三の言葉(伊丹十三記念館) (@juzo_itami)
スターリング・モスという名レーサーは、普段は自転車に乗ってるそうです。街を走ってる自動車は、あれは自動車でなくて単なる足だ。どうせ足なら自転車のほうが健康にいい、というのです。 見識、ではありませんか。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三)
—伊丹十三bot (@JuzoItamibot)
